20110903

逢いたくて


りの中で夢咲くように、木蓮の花が笑っていた。甘い香りは思い出を優しく包む。青空に、歌うように流れた記憶は、ふわりと僕の唇にサヨナラをした。そしてただ、心の中に、幸せな微笑みだけが残された。

マグノリア(Magnolia d'Abricot)


京都
http://www.grainsdevanille.com/



ふわりと香る甘さが、青空に咲く木蓮のようであった。そしてその余韻は、散る木蓮の花びらのように感じられた。ふと僕が考えたのは、木漏れ日は蜂蜜の味がして、微笑みにはヴァニラが香るのではないだろうかという幻想だった。

20110902

the Little Zen Garden


N

unc est bibendum, nunc pede libero pulsanda tellus.
日本では、memento moriとは“死を想え”と訳されてきた。しかし僕たちは今、必要以上に死を恐れていないだろうか? それはまた、生きる意味を見出せずにいるからでは無いだろうか?
先人達は歌う。どうせ人は死ぬのだから、無闇に恐れるな、今日を楽しめ、今を生きろと。

茜色の静謐が微睡む窓辺にて、僕は静かにたゆたう時を眺めていた。美味しいものを、美味しいと感じられる。ただそれだけで、何とかなるんじゃないのかな?

抹茶のクグロフ(Kouglof au Mâcha et Soja noir)


京都
cafe memento mori メメントモリ
http://mementmori.net/


なぜか通りすぎることの出来なかったカフェは、静かな余韻に満ちていた。時の残像が重なって、淡く滲んでいるようだった。僕は不思議な懐かしさを感じた。
大きな窓から光が入る店内は明るく、ゆらぐ光と、香るような影が印象的だ。特注したと言うライトには、命の灯火にも似たフィラメントが燃えており、それが無機質な壁や床や水晶に、優しさと微笑みを与えているような気がしてならなかった。
テーブルに置かれたガラスの器の中には、遥かな昔に大地に落ちたであろう林檎と、散ってなお燃える真紅の薔薇の花弁と落葉。永遠に保存された森の記憶。それは死をイメージしたのだろうか。
見据えた先の、仄かに灯る未来の先に、かようにも美しく朽ちる死があるのなら、何も恐れることは無い。あともう少しだけ、終りが来るその日まで、僕は前を向いて歩いていこう。

20110901

the Neyn tails stories


角に、ネインという名の店があった。優しいドーナツとクッキーと、心休まる珈琲に会える場所だった。明るい通りに面した店内には、いつも甘い香りが満ちていて、朝に昼に夕方に、気軽に訪れることが出来る店だった。
今は無くなったその店に、僕は何回通ったのだろうかと考えてみたけれど、美味しかったこと以外は、あまり思い出せないでいた。…良いのかな、それで。僕があのドーナツを好きだったことは、忘れられそうに無いのだから。
そして僕は最後のクッキーを、別の店の珈琲と共に口にして、静かにノートを閉じた。さよなら、ネイン。


東京
Neyn ネイン
http://www.neyn.com/




大好きな店が無くなってしまうのは悲しいもので、なのに何も出来ない僕自身の無力さは、失恋の喪失感と同じかも知れない。
幾度となく愛していると口にしたとて、終わってしまえば、それはただの戯言と変わらないだろう。それでも僕は、僕が口にした愛に偽り無きことを誓うためにも、この温もりと感謝の気持ちを、忘れないでいるだろう。僕が年老いて、たとえ君の名前を、思い出せなくなったとしても。