20110902

the Little Zen Garden


N

unc est bibendum, nunc pede libero pulsanda tellus.
日本では、memento moriとは“死を想え”と訳されてきた。しかし僕たちは今、必要以上に死を恐れていないだろうか? それはまた、生きる意味を見出せずにいるからでは無いだろうか?
先人達は歌う。どうせ人は死ぬのだから、無闇に恐れるな、今日を楽しめ、今を生きろと。

茜色の静謐が微睡む窓辺にて、僕は静かにたゆたう時を眺めていた。美味しいものを、美味しいと感じられる。ただそれだけで、何とかなるんじゃないのかな?

抹茶のクグロフ(Kouglof au Mâcha et Soja noir)


京都
cafe memento mori メメントモリ
http://mementmori.net/


なぜか通りすぎることの出来なかったカフェは、静かな余韻に満ちていた。時の残像が重なって、淡く滲んでいるようだった。僕は不思議な懐かしさを感じた。
大きな窓から光が入る店内は明るく、ゆらぐ光と、香るような影が印象的だ。特注したと言うライトには、命の灯火にも似たフィラメントが燃えており、それが無機質な壁や床や水晶に、優しさと微笑みを与えているような気がしてならなかった。
テーブルに置かれたガラスの器の中には、遥かな昔に大地に落ちたであろう林檎と、散ってなお燃える真紅の薔薇の花弁と落葉。永遠に保存された森の記憶。それは死をイメージしたのだろうか。
見据えた先の、仄かに灯る未来の先に、かようにも美しく朽ちる死があるのなら、何も恐れることは無い。あともう少しだけ、終りが来るその日まで、僕は前を向いて歩いていこう。