時
は過ぎゆく。記憶も、思い出も、良いことも悪いことも、全ては流れ去っていく。僕はそれで良いと思う。ただ、ふと思い出すことがあり、それで心落ち着けるのであれば、それが幸せなんだと思うんだ。だからこそ僕は、大切な物事を、時に思い出すようにしている。ゆっくりと、感謝しながら。
三色萩乃餅(Trois sortes de ohagi)
二寧坂の甘味処で、竹久夢二も通ったそうだ。夢二が美人画を描いていたことよりも、僕は彼が、かさぎ屋に通っていたことの方を強く記憶している。愛しい女性が居ればこそであろうが、甘いものが好きだったのだろう。そんな夢二を僕は、少しだけ身近に感じているんだ。
記憶は記録とは異なり、確実に変容していく。良くも悪くも、不確かなシロモノだ。思い入れがあれば、そのとき感じたこと以上に鮮明な記憶となるだろう。でも、悪い記憶は忘れたらいい。良い記憶を思い出すことできっと、流され薄れてゆくだろう。
僕は日常的に甘いものを好むのだが、たとえば君が…そうだな、癒しなんて物を求めてこの店を訪ねたいと言うのであれば、いつでも僕を呼びつけてくれ。案内するよ。そりゃ僕だって、美人と一緒の方が良いけれど、友の頼みだ、駅まで迎えにも行くさ。
そう話しながら彼は、嬉しそうに3つのお萩をペロリと平らげた。白漉し餡のおはぎは、寒い時期だけで、もうすぐ黄な粉のおはぎに代わるそうだ。
『すみません、善哉を1つ!』
彼がこの店を訪ねる理由が、私のお供だとは信じられないわ。