20110126

月想曲


の無い夜にさえ、僕らは空を見上げてしまう。太陽では眩しすぎる光も、月の優しい眼差しであれば、僕らも微笑みを返すことが出来る。だからつい、探してしまうのだ。
月の満ち欠けに心動かし惑うこともあるけれど、月に落とす影は僕らの闇で、本当は、どんな時も常に欠ける事の無い満月が、僕らを優しく見守ってくれている。
その慈しみに感謝して、僕はそっと掌を合わせた。

抹茶粟ぜんざい(Awa zenzai = gâteau du millet à la crème d'Azuki et Thé vert)





前回から少し思うところがあり、書き直し(食べ直し)てみました。そして感じたことはやはり、月を探して見上げた空は、いつも慈悲に溢れていると思うのです。
もっと、もっと優しくあれと願います。僕ら日本人に足りないものは、厳しさや勤勉さや反省では無く、優しさと慈しみだと強く感じるのです。
人間の存在理由の最小単位を、家族ではなく個人にしてしまった僕らの誤りは、罪にも思えるほどの痛みと悲しみとして、日常の隣人となってしまいました。それはもう、遥かな昔に。親よりも、祖父母よりも、ずっとずっと昔のことなのです。
人は弱く儚い存在で、個人の失敗により、傷つくこともあるでしょう。それは自業自得かも知れません。原因が事故や事件であるならば、それは不運とよべるでしょう。ツイていなかったと。
しかし、その傷を癒すのを、傷ついた本人に負わせてはいけません。隣人や、友人や、家族や恋人たちが、手を差し伸べるべき事なのです。当たり前のように。
『考えが甘い。ふざけるな。』
そう言ってしまう日本人の罪を、そろそろ認めるべき時だと思います。絶望と諦めの、その先の未来へと進むために。

見上げた東の空には、金色に輝く下弦の月が浮いていた。