夢
で会えたら、どんなに素敵であろうか。花咲く頃に出逢っていたら、どんなに素晴らしかったであろうか。丘の上で寝転んで、青空をゆく雲を眺めながら、君想う微睡みに沈んだ。やがて夢の一雫が、眠りの世界に波紋を重ねた。翼を得た私は仙境に遊び、朧な月に願いてみれば、山には鶯の声が木霊して、梅の花が咲きほころんだ。
『夢、なんだよな。』
愛しき君の手をとって、そう呟いてはみたものの、甘い夢は覚めやらず。ならばこのまま二人、霞の中で踊ろうか。
Duomo mâcha azuki
パリの小豆餡!
その楽しさと偉大さは、京都に暮らす人なら理解していただけると思います。
餡の風味は東京的で大人しいのですが、ちゃんと“あんこ”なんですよ。
抹茶にしろ、あんこにしろ、地理的にも文化的にも遠く離れた国や人を結ぶのは、ファンタジーだと思うのです。
好き・美味しい・楽しい
その3つが繋がり、橋となり道となる。これは素晴らしいことです。その道があったから、私はパリまで来れたのだと実感しました。
さて、以下は甘く無いお話しを。
私が甘いもの好きになったキッカケは、サダハルのバンブーでした。以来、東京を訪れる理由になっているのですが、その事を知っている人々からは、一度パリのサダハルへ行って来いと言われておりました。でも、
『そんなに違うの?日本にもお店はあるじゃない。』
なんて考えていたので、あまり興味を持てずにいました。
今回、運良くパリを訪れる機会に恵まれたので、散歩がてらセギュール店を訪ねてみました。これは私の、ただの想像ですが、焼き菓子やパイ生地等の、小麦が異なるのだろうと考えていましたが…驚くことに、クリームの味わいが違いました。軽さや優しさ、余韻の印象が異なるのです。卵とミルクが、日本よりも優しいのです。
少し考えてみれば、小麦やバターは空輸出来ますよね。でも、鮮度が大切な卵とミルクは、その土地のものを使わざるを得ないのです。そしてこの、卵とミルク(乳製品)ですが、断然フランス産の方が美味しいのです。
保健衛生的な条例等の違いにより、製品化される過程が異なるのが原因ですが、結局のところそれは、両国民の思想の違いなのだと思います。鮮度や清潔さでは無く、病的な潔癖性を求め、自然よりも便利を追求した結果でしょうか。
口にしたお菓子はどれも美味しかったのですが、なんだか複雑な気持ちでした。日本人が求める“美味しさ”とは、いったい何でしょうか? スイーツブームと言われて久しいですが、私達は何を求めているのでしょうか?
秋の風がメランコリックにさせるのか、深く考え込む日が続くようになりました。んー…。